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モノレール国内編 大阪モノレール

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万国博モノレール 廃線跡を行く

-Monorail of EXPO'70-

日本のみならず今や世界中へ展開される「日本跨座式モノレール」。
その歴史は、全てはこの「万国博モノレール」から始まった。


1970年、大阪ではかの有名な日本万国博覧会、通称大阪万博が開催。博覧会のテーマは、「人類の進歩と調和」。
現在では、公園も整備され、さらにはその直近に、今日も多くの人を乗せ大阪モノレールが走っています。アジアでは初めての開催となった事もあり、推計入場者数5千万人と見込まれた大阪万博では、連日30万人を越す大観衆によって盛況を極めました。この大阪万博の会場で、日本初の日本跨座型モノレールが産声を上げました…。これが万国博モノレール(Monorail of EXPO'70)。会場跡となる万博記念公園では、開期後に大幅な改修整備を実施し、現在では廃線跡を感じることはほぼできません。そこで、今回mjwsではこの廃線跡について、当時の資料をベースに散策を行う事としました。


万博記念公園中央口。

万国博モノレールの中央口駅は、現中央口より左手に進んだ、少し離れた位置に存在した。現在は画像の様に草木で直接見えない状態。
散策のスタート地点は万博記念公園正門近くの旧「中央口駅」から。
まずは万博記念公園に入場する必要があるため、公園の正門へ向かいます。


万国博物モノレール中央口駅は図中中央下部に位置する。

  ひとまず正門(入場口)から万国博モノレール旧「中央口駅」方向を眺めます。
正面に見える草木は万博開催当時は無く、この位置からでもモノレールの駅舎が見えていたと推定されます。 

 
 

さらに記念公園内に入場し、「太陽の塔」に挨拶。 
写真は公園中央より撮影したものですので、中央口より入場すればにこやかに出迎えてくれます。
向って左手へ少し歩くと…2分程度で万博当時に整備された主要道に突き当たります。この地点に万国博モノレール旧「中央口駅」が存在しました。

万国博モノレールの建設は、昭和43年9月に開始、1年6ヵ月という短期間で完了。万国博での活躍はもちろんの事ながら、日本が誇るモノレールシステムの基礎を築きました。しかしながら、開期後は早々に解体撤去されてしまい、現在はインフラ部もろとも現存していません。

駅舎には歩行デッキが敷設され、画像上空付近まで伸びていたと考えられます。
また旧「中央口駅」では、他の駅と異なり、乗車用と降車用の2本のプラットフォームが用意されていました。

万国博モノレールは、ここから反時計周りに万博会場外周を周っていました。
次の駅は旧「エキスポランド前駅」という事になりますが、ここを飛ばして3つ目の駅旧「東口駅」を目指します。 


モノレールが走っていたルート上の支柱は万国博後完全に撤去され、資料がなければその面影を追う事も難しい状態となっています。
   万国博モノレール旧「東口駅」は、万国博後に整備された大阪モノレールの公園東口駅の傍に存在しました。写真は大阪モノレールの支線、彩都線の東口駅の駅前の様子。
 
万国博物モノレール(黄線)および大阪モノレール(赤線)の路線図
東口駅および公園東口駅は会場(右手)に位置する。
   万国博モノレールが仮に現存していたら、この位置から2本(正確には3本)のモノレール軌道桁の並びが見えたはずです。さて、外周部に沿って走ってきた万国博モノレールルートは、ここで大きく左に進路を取り、旧「東口駅」に到達する軌道を取りました。

会場内の外周道路。万国博モノレールはここをルートとしていた。モノレールの軌道は、ちょうどこのあたりから右手方向に進路を変え東口駅に向かった。
 
モノレールルートが左手にカーブしていたと推定される箇所。万国博開期中、写真左奥手に東口駅が存在した。
万国博モノレール旧「東口駅」は、画像左奥手付近に位置していたと推定されます。中央の遊離体部分に建屋が見えますが、この中央スペースこそ、万国博モノレールの駅舎スペースとして、万国会場建設時に整備されたものです。 
   
開場側より撮影した万国博モノレール東口駅位置の様子。写真部の中央分離帯部分は、万国博モノレールの当時のおもかげを残す数少ない遺構の一つと言えるかもしれません。


モノレールルートがそこに存在した事を示す公園道路。

写真奥手が東口駅跡地。
この万国博モノレール旧「東口駅」より先は、当時のモノレールルートにそって公園道路が延びています。
したがって、次の「日本庭園駅」および「北口駅」跡地までは、初めての散策でも難なくたどる事ができます。


日本庭園入場口

万国博モノレール日本庭園駅跡地

歩くこと10分、次駅の「日本庭園駅」跡地が見えてきました。
あくまでも推定ですが、右写真画像中央付近に駅舎が存在したものと考えられます。

なお、左写真を入場口とする日本庭園は、日本万国博覧会の開催に合わせ整備されました。26ヘクタールという広大な敷地に、上代、中世、近世の3つの時代を代表する庭園様式を模範にして作庭された庭園が並んでいます。

  

日本庭園駅跡地の傍には国立民族学博物館が建つ。

万国博モノレール日本庭園駅跡地付近から見る日本庭園入場口。

万国博モノレール日本庭園駅跡地を後にし、公園道路を反時計回りに進む。

万国博モノレール北口駅跡地
引き続き、公園道路を進みます。
徒歩でおよそ10分、さらに次駅となる「北口駅」跡地が見えてきました。 

万国博モノレール北口駅があったと推定される位置。

万国博モノレール北口駅跡地を後にし、外周道路を目指す。

外周道路に出るためには北口門を通過しますが、一度外周道路側に出ると各入場門から入りなおす必要があります。

外周道路に出た後は、さらに反時計回りに歩道を進みます。
   
左写真に写る歩道橋を過ぎると、万国博開催時にブラジル館が存在した区画に並行します。
実はこの付近、万国博開催時には、万国博モノレールを点検するための検修線が存在しました。

 
   
検修線には、園内向きに2基各4連の鋼製可とう式転轍機が設けられ、本線と検修線を行き来出来るようになっていました。
この検修線は、ループ線を採用した万国博モノレールにおいて、唯一の車両基地として機能していました。

可とう式転轍機とは、主軸となる箱桁より独立した、案内および安定面板を所定の曲線に湾曲させることにより
継目部分の折れ角を修正できるタイプの転轍機で、車両に対する衝撃を少なくする構造を有していました。

可とう式転轍機の諸元は以下の通り。

形式:HAW-18ZKGおよびHAW-19ZGK
総重量 約42t
桁寸法 幅800mmx高さ1,420mmx長さ19,825mm
転てつ幅 2,100mm
曲線半径 93.2m(検修線切換時)
車両制限速度 35km/h(検修線切換時)
転てつ所要時間 約9秒

万国博モノレールで採用された転てつ機は、その後国内での展開が想定されていた都市交通形モノレールのため、転てつ所要時間の短縮が図られた最新式のものでした。

   

外周道路をさらに進み、上写真の西門歩道橋を超えたあたりに、万国博モノレール西口駅が設置されていました。 
 
万国博モノレール西口駅跡地
(外周道路より)
 
万国博モノレール西口駅跡地
(公園外周道路より撮影)

さて、西口駅を出た万国博モノレールは、この跡水曜広場駅、中央口駅の順に進み、万国博を反時計回りに一周していました。
以降は当ページトップに戻る形で永遠と同じループ運行を繰り返していきます。



万国博モノレール廃線跡の散策は以上となります。
ここまで見てきた通り、万国博モノレールの廃線跡および遺構はほぼ現存していません。
今回の散策において当方このルートを実際に回ってみたわけですが、なんとももんもんとする数時間の散歩となりました。

当廃線の散策に行かれる方は、可能な範囲で資料を準備し向かわれる事をお勧めしたいと思います。 

記事・MJWS編集室 田村拓丸
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